この厭世観たるや・・・

日々の所感を絵で書き連ねるブログです。

伊藤万理華生誕祭2016の思い出②<デザイン編>

①の続き

生誕制作物とコンペ

万理華生誕では何かを制作するとなった時、基本的にそのデザインがコンペ形式で決められた。

メッセージカード然り、チケットホルダー然り、パーカー然り、バッジ然り……

いずれも有志がデザインを持ち寄り、その中から生誕委員による投票がおこなわれ、得票数の多いものがデザインとして採用されるのだ。

もし採用されなければそこに注いだ努力は灰燼に帰すが、逆に採用されたときの嬉しさときたらひとしおなので、僕も多分に漏れずデザインを投稿した。

しかし、そこで忘れてならないのは、投票権を持つ人の性質である。

彼らの多くは絵が好きで集まった人でもなく、デザインが好きで集まった人でもなく、あくまで「アイドル伊藤万理華のファン」として集まった人なのである。

イラストでのデザインを投稿したところで、万理華の写真をそのまま用いたデザインでの対抗馬が現れてしまっては、到底敵わないのだ。

これには随分と頭を悩まされた。

「そもそもファンが集まって執り行われる生誕祭というイベントに関して、アイドル本人の画像を加工して独自のグッズを制作するのは倫理的にどうなのだろうか……」などと考えることもあったが、それらを圧倒できるような絵が描けない自分が何を言っても負け犬の遠吠えなのである。

 

以前とある生誕からの依頼で生誕グッズ用の絵を描いたという方とお会いしたが、その方は「ギリギリの日程で何度もやり直しが迫られた」「描き手のことを考えずに注文ばかり付けてくる生誕が多過ぎる」などと激昂しておられた。

しかし、僕から言わせればそれはなんとも贅沢な怒りである。

確かにギリギリのスケジュールでバタバタさせられるつらさはわからずともないが、どんなにやり直しがあったところで最終的に作品が生誕グッズに使われることが担保されているなんて、この上なくやり易く恵まれた環境なのだ。

精一杯つくらなければコンペで勝負にすらならないが、どんなに精一杯つくっても採用されなければすべてがパァになるという形式は、なかなかに悩ましかった。

 

ただ、ありがたいことにそういった中でも採用いただいたデザインはあった。

以下が当該のものであるが、これらはコンペで他の候補を破り勝ち残ったという点で、非常に思い入れの深いデザインであり、いずれも宝物のような愛おしさすら感じている。

<万理華へのメッセージカード>

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<生誕祭ノベルティの缶バッジとメモ帳>

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その他の小物のデザイン

業者に発注するような大掛かりな制作物は上述のコンペ形式でデザインが決せられたが、現場で用いるような小物は書記の職務の延長で僕が作成することが多かった。

せっかくの機会なので、いくつかココに残しておきたい。

<生誕委員募集ポスター>

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<万理華生誕WebSiteでの生誕祭日程告知イラスト>

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<メッセージカード集めの看板>

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<メッセージカードの書き方ボード>

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いずれも生誕活動の大切な思い出の一部である。

 

(③へ続く)